Cocktail Bar Nemanjaにカクテルベース以外のコニャクは少ないですが【マーテル コルドンブルー】ご用意しております^ ^
5月13日は「カクテルの日」!
今日はカクテル話しで、日本のハイボール(蒸留酒のソーダ割り)の始まりについてのお話ししたいと思います。
ハイボールらしきものが飲まれた古い記録は、なんと横浜の遊廓にありました!
1860年、幕府は横浜の沼地 港崎(みよざき)を埋め立て約15000坪の遊廓「港崎遊廓」を建てました。
現在の横浜スタジアムと横浜公園にあたる場所です。
江戸の吉原を模した場所となり、最大の遊女屋は「岩亀楼(がんきろう)」と呼ばれました。
ハイボールらしき記録は、1861年に港崎遊廓 岩亀楼にて開催された英国守備隊主催の英国艦隊横浜入港歓迎会にて登場しました。
守備隊幹部達は岩亀楼の大広間に集まり、シガーと共にブランデーソーダを楽しんだとのこと。
当時イギリスではブランデーのソーダ割りが人気でした。
ビクトリア朝時代のイギリスでは、ブランデーは心を癒し、ソーダは胃腸の調子を整えるとされておりブランデー・ソーダは、シャンパン替わりとしても飲まれていました。
1861年は、ウィスキーも輸入されておりましたが、居留地の外国人にはウィスキーよりブランデーが好まれていたようです。
当時の酒類輸入の広告を拝見するとウィスキーよりブランデーが上にリストアップされおり、ブランデーの人気ぶりがうかがえます。
1860年代の横浜では、オタール、マーテル、ヘネシーが人気の銘柄だったようです。
今夜はコニャックのソーダ割り【港崎ハイボール / Miyozaki Highball】はいかがでしょうか?
是非お試しくださいませ!
0 件のコメント:
コメントを投稿